あの日の夕陽

お盆中は三社詣りに行っていました。自分のいる世界をディストピアだと感じると、ネガティブになって罰当たりになってしまう自分がいます。生活を人質に取られて奪い合いのような感覚と共に、自分の無力さを日々実感します。

以前読んだ本の「実際無いことと、見えないことは違う。」という言葉を自分は忘れたくないので書き留めます。見えないからといって実際無い訳ではない、ということは、見えなくさせられている状況なのかもしれないし、見たいと思っていれば観えるようになるのかもしれないからです。

万葉の時代には「見る」という言葉には「ふれる」という意味も含まれていたそうで、感受性が根本的な核なのかもしれないと感じています。こころの活力を奪われて、魂の落ち込みが活動の循環を鈍らせるように感じるので、自分が前向きにできることを信じ、活動し続けたいです。

写真は、佐原近くの十二橋駅あたりで見た夕陽、香取神宮の黄花コスモス、鹿島神宮の浄化の池と湧き水、息栖神社の猫たちの様子

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