
「個人的主観に過ぎません、長文です。ものづくりのすみっこからの発言です。」
民藝の展示を観た。ものに焦点の当たる展示であった。柳宗悦の哲学を汲み取ることはできなかった。
民藝とデザインについてを、今の日本民藝館館長の方が展示にあたって語られて文章にされていたが、個人的に違和感を覚えた。
デザインはクライアントにより制限の掛かる規格品に携わる職能で、民藝も同じく職能であると思うが、ノスタルジアというか郷愁を感じる部分でその在り方が違うと、私は個人的に思っている。
柳宗悦の本を読むと、日本のアイデンティティや風土から生まれる職能を語られている。
日本の民俗的な面を暮しの中で用いられてきた美から汲み取れば、焦点の当たる部分以外を観ることが、民藝といわれる日用品に表現された精神性だと思う。
日本の精神性の侘び寂びとは、足るを知る、つまり充足した部分とそれ以外の部分を感じ取ることではないか?
それは脈々と続いてきた暮すことの厳しさから切り離すことはできない。けれど時代の変化と共に、そういう価値観は変化していると思う。
デザインは焦点の当たる部分をメインにして制作される物質主義経済と共に歩んでいる気がするし、AIはプロセスを全く無視して生成される得体のしれないもので、この時代の激変の中で、日本の精神性を成熟させていくことって、どういうこれからの歩み方があるのか?
そこのところを知りたかったし、問題提起を受けたかったが、民藝の展示からそれを汲み取ることはできなかった。
ものにまつわる手仕事の部分や、地方の技術や、日用品の生まれた時代の背景などしか伝わってこなかった。
ものが生まれる。ものづくりは人の魂から切り離すことはしてはいけないと信じている。でも今、それを信じ続けることの難しさがとても息苦しい。
正しさでは、続けられない。状況の変化を受けて、やり方を工夫しながら対応を変化させて行かなければ、志を信じ続けて今に適応していけない。(水が溢れそうなバケツには、出し続けていた勢いのよい水の量を調整しなければいけないではないか。)
適応できないと淘汰される。淘汰されたものやいのちが好きだ、そのまま在り続けてほしいと願っても、個人的な主観に過ぎず、激流を前にしてうなだれる。
そんなことを考えた展示だった。
#民藝 #展示 #ものづくり #哲学 #思考 #プロセス #design #模索する道

